2012年7月7日土曜日

生物を形づくるのは遺伝子か、物理学か。

遺伝子か環境か、という二項対立がある。これは人間のような生き物のどの部分が遺伝子によって決まり、どの部分が環境によるのか、という疑問を表している。ぼくの数学の点数が低いのは遺伝子のせいか、環境のせいなのかと悩む子どももいるだろう。

一方、遺伝子か物理学かという対立も考えることができる。これはどちらかというと説明原理に関する対立で、進化vs物理学とも言える部分がある。

たとえばドール・シープの特徴的な丸まった角の形を見て、生物学者はこの丸まった角が性淘汰から雌を引きつける機能を持ったという説明をするかもしれない。物理学者や数学者ならば、いかにして丸まったかを記述する。具体的には外側の成長速度が内側より低ければ自然と丸まっていく。

進化という説明がよりどころにしている機能というものを解明するのは難しい。足が歩くためにあり、目が光を感じるために機能することは分かるが、機能は常に変化しうるし、どこまでが本当の機能と呼べるのか、数量として調査するにはあいまいさが残る。

たとえば人間の手の機能とはなんだろうか。物をつかむこと?ジェスチャーによって情報を発信すること?キーボードを打つこと? 将来には新たな機能が付加されるかもしれない。

進化よりも具体的な遺伝子という観点から見たときも、同じような問題がある。たとえばハチの巣の構造にはハチが生き残るための機能があるかもしれないが、「ハチの巣を作る遺伝子」があるのだろうか。

実際には「ハチの巣を作るアルゴリズム」はあるだろう。ハチの嗅覚や視覚や運動性、重力に対する傾向やハチ同士の認識といった、遺伝子から、結果としてハチの巣ができあがるだろう。
でも、それはハチの巣を作る遺伝子といえるのだろうか。

こういったことを踏まえると、少なくとも生き物の形態を考えるときには、その物理的な形態生成の過程も含めて考えないといけないようだ。

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