2012年1月5日木曜日

モーペルテュイの最小作用教 最小作用の原理と最善世界


数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ
(2009/12/18)
イーヴァル・エクランド

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『数学は最善世界の夢を見るか』イーヴァル・エクエンド(著)では、モーペルテュイという人物をハイライトにしてニュートン力学から解析力学、カオスや量子力学など近代物理学の歩みを描いていました。
モーペルテュイという名前は初めて見ました。18世紀の有名なライプニッツやヴォルテールと同時代に生きていて、ニュートン力学とデカルト力学の論争(地球が南北に長いのか東西に長いのか)を確かめるために北極まで探検をしたそうです。彼の身分はベルリン科学アカデミーの院長というとても高いものでしたが、性格は謙虚さに欠け、敵も多い人だったようです。

このモーペルテュイですが、光は最小時間でたどり着ける経路を通るというフェルマーの原理に触発されて、最小作用の原理が世界を支配していると考えます。つまり神は世界のあらゆるものの作用を最小にする、言い換えると最善となるように導いているというものです。いわば最小作用教とも言える着想です。この考え方は当時の人からも反発が大きかったようです。特に激しく攻撃したのがヴォルテールで、彼が書いた文書にはあらゆるレトリックを使ってモーペルテュイを皮肉っています。結果モーペルテュイは大言壮語の男として笑いものにされます。

話はこれで終わったかに見えますが、彼の考えた普遍的な法則としての最小作用の原理の考え方は、形を変えながらも後のオイラー、ラグランジュ、ポアンカレ、さらには量子力学のファインマンにまで引き継がれます。もちろん彼の考えた神による最善世界の導きは否定されています。たとえば最小作用が谷だとしたら、光や物体が通る経路は谷だけでなく峠のような中間にある踊り場になることもあります。これを停留点と呼ぶと、結局は最小作用というものは普遍的なものではなく、エネルギー的に留まるところがあればいいわけです。このことによって最小作用=最善というモーペルテュイの考えは大きなダメージを受け捨て去られます。

この議論は、経済学の成長理論に何か似てる気がします。経済が恒常成長する条件として、貯蓄性向sと資本係数vの比がちょうど労働力の成長率nと同じでなければいけない(s/v=n)という条件が導き出されるのですが、これらは相互に連関のないものとして扱われています。この一致は黄金率と言われ、偶然や奇跡以外には実現が不可能に見えます。しかしモデルを組み直して何かの調節メカニズムによって黄金律へ近づくという説明ができれば、この奇跡のような黄金率は奇跡でもなんでもないことが分かります。
いわばモーペルテュイはこういったモデルの再考やモデルの適用範囲の検討をあまりせずに、得られた結果から奇跡の存在を簡単に信じてしまったと言うことができると思います。

とは言え、『数学は最善世界の夢を見るか』では、モーペルテュイという人物の卑小さにスポットを当てながらも、近代科学の原理を着想した人としての評価は保持します。このミスマッチがおもしろかったです。

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