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2012年6月10日日曜日

集団生態学の個体数振動モデルについて。

ロトカ=ヴォルテラの方程式

『数学でみた生命と進化―生き残りゲームの勝者たち』カール・シグムンド (著) では集団生態学の数学モデルの章があった。 第一次大戦中のアドリア海では漁が中止されていたために、本来漁で取られていた被食者の魚増え、結果その捕食者のサメも増えたという話を聞いた数理物理学者のヴォルテラが、それを数学で表すことも難なく思いついた。 これは被食者が多くなるとそれに追いつく形で捕食者が増えるが、そのうちに被食者が食べられて減少すると捕食者もまた減少していくという、生物数の振動が追いかけっこするような形を表す。 またこの成果を拡張して、餌を多く食べる・少なく食べる、子供を多く産む・少なく生むの4つの組み合わせで捕食者と被食者の数の関係がどうなるかを表す数理モデルができたという。 そしてどうやらこの振動する関係は、外界の環境やちょっとした変動に反応してどちらがか絶滅するなどが原因で破綻することもありうるようだ。


しかしそれ以外にも被食者捕食者の関係に依存しない形で、生物数が振動するモデルもある。多くの昆虫のように、親が子を産むとすぐ死ぬような生き物では、親子が同じ時代に生きることはない。そうすると親の数が少ない場合は、一個体あたりの栄養が多くなるのでたくさんの子供を産むが、その子供の世代は数が多いので一個体あたりの栄養が少なくて子供が少なくなる。 このような理由で世代ごとに増加と減少の振動が続くモデルがある。

2012年5月4日金曜日

ポアンカレ予想とペレリマン関連の本、解釈の違い。

ポアンカレ予想・100年の格闘 ~数学者はキノコ狩りの夢を見る~ [DVD]ポアンカレ予想・100年の格闘 ~数学者はキノコ狩りの夢を見る~ [DVD]
(2010/05/28)
ドキュメンタリー

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長年にわたってどんな数学者も解くことができなかったポアンカレ予想をついに解いたのはグレゴリ・ペレリマン。話題性があるだけにいろんな本やテレビ番組が出てきた。個人的には数学にそれほど詳しくないので、本やテレビの分かりやすい解説から、ポアンカレ予想とはどういうものか、ペレリマンとはどういう人物で、なぜフィールズ賞などを辞退し、どうして現在はロシアで人と関わらないで生活しているかなどの情報を知った。

最初に見たのが上の「ポアンカレ予想・100年の格闘 ~数学者はキノコ狩りの夢を見る~」だった。この番組ではペレリマン以前にポアンカレ予想に取り組んだ数学者の話に多くの時間が割かれていた。そういった数学者の多くの人はポアンカレ予想を解こうと数学にのめり込むあまり心を病んでしまったという。最終的にポアンカレ予想を証明したペレリマンもまた心を病んでしまい、そのことがロシアで人と関わらなくなった原因だという流れになっている。
さらに番組中で、ペレリマンがアメリカに行ってポアンカレ予想をいかに解いたかを学会で発表する場面がある。その学会を聴講した他の数学者たちはペレリマンの取った方法に驚いたという。なぜならポアンカレ予想はトポロジーという数学分野の問題であるのに、ペレリマンは微分幾何学を使って説いたからだ、と番組では説明されている。

でも類書の「完全なる証明」と「ポアンカレ予想―世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者」を読むと、ペレリマンが人との関係を閉ざした理由ははっきりしていて、本人の証言もあるようだ。どうやらペレリマンがポアンカレ予想を証明した後に起こった世間のさまざまな反応、特に数学界においてペレリマンが不道徳だと感じた出来事が多かったことから数学界に失望したらしい。
たとえばハミルトンのリッチフローという手法を拡張したことが、ポアンカレ予想の証明の具体的な内容だが、ハミルトン本人はペレリマンに先を越された悔しさからか、あまりペレリマンの講演に出席したり質問したりせずにいたらしい。このことがペレリマンからすると不誠実に映ったようだ。もっというと中国人の朱熹平と曹懐東がペレリマンの功績を横取りするかたちで自分たちがポアンカレ予想を証明したと語るなど、スキャンダルも多かった。こういったこともペレリマンが数学界に失望した理由かもしれない。

ポアンカレ予想―世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者 (ハヤカワ文庫 NF 373 〈数理を愉しむ〉シリーズ)完全なる証明―100万ドルを拒否した天才数学者 (文春文庫)完全なる証明―100万ドルを拒否した天才数学者 (文春文庫)
(2012/04/10)
マーシャ ガッセン

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(2011/04/30)
ジョージ G.スピーロ

また 「ポアンカレ予想―世紀の謎を掛けた数学者、解き明かした数学者」を読んでみると、ペレリマン以前から、ハミルトンがリッチフローという微分方程式や熱という考え方をトポロジーに応用している。ペレリマンの仕事はそのリッチフローの方法のうち、葉巻型と呼ばれる形がトポロジーに応用できてないという欠点を克服したりしてハミルトンの路線を完成させたことにあるようだ。もしそうなら、NHKの番組で、微分幾何学をトポロジーに応用したことがペレリマンの革新的なところであったというのはミスリードなのかな、と思った。ちなみにエントロピーという物理学の考え方を取り入れたのはたしかにペレリマンの斬新な点ではあるみたいだけど。

2012年2月18日土曜日

光から見た不確定性原理

ハイゼンベルグの不確定性原理は有名です。自分自身おおざっぱな説明として、運動量と位置の両方を正確に知ることができないという原理だと聞いています。式で書くと「Δx・Δp = 1/2ℏ」となります。
最近ブルーバックスの『高校数学で分かるシュレディンガー方程式』を読んでいたら、不確定性原理の他のやり方での説明がありました。
パルスというものは一瞬だけピッと立ち上がる波で、これが光の波だったりする場合、その時間が短ければ短いほど短い時間を測定することができるようになります。しかしこのパルス、数学的にどのように作るかというといろいろな波長の波を重ね合わせる必要があるらしいのです。波のエネルギーの幅を持ったものであればあるほどパルスの時間は短くなる。
ということは、パルスのような波の時間の短さとエネルギーの幅は相反する関係にあるということになります。
結局エネルギーの幅をΔE、パルスの時間をΔtとすると、上の不確定性原理に似た式「ΔE・Δt ≒ ℏ」のようになるようです。
ほぼ本からの引用ですが、これは光の波長から見た不確定性原理と言えそうですが、こちらの方が理解しやすいように思えます。

2012年1月6日金曜日

『自己組織化の経済学―経済秩序はいかに創発するか』 ポール・クルーグマン (著) の覚え書き


自己組織化の経済学―経済秩序はいかに創発するか (ちくま学芸文庫)自己組織化の経済学―経済秩序はいかに創発するか (ちくま学芸文庫)
(2009/11/10)
ポール クルーグマン

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『自己組織化の経済学』は、空間経済学や新しい貿易理論などの業績でノーベル経済学賞を受賞したクルーグマン自身が万人向けに書いた、経済学における複雑系の本です。複雑系と言っても取り上げられるのは空間経済学あるいは都市経済学が主です。つまり都市というものがいかに形成されるか、都市の大きさに関する経験的なデータをどのようにモデルで説明するかなどです。ここで取り上げられている理論について、覚え書きをしたいと思います。

複雑系とはどのようなものか。1.正と負のフィードバックの絡み合う 2.創発する 3.自己組織化する ものであり、これらは互いに関連している。
1.収穫逓減のような負のフィードバックによって支配されているという仮定のもとでは一般均衡理論のように収束するが、収穫逓増のように正のフィードバックでは独占を生むし、逓減と逓増の相互作用があればもっと複雑な動きをする。
2.そのような複雑な動きがある閾値に達すると、突如として新しい性質が創発される。大きな見方をするならば、ある経済理論が成功したと言えるのは、ある程度常識的な仮定と推論からいままで思いもしなかったような結果が創発されること、と言えるかも知れない。
3.それぞれの個人が自己の利益拡大を考えて市場に参加するだけで、見えざる手によって効率が最大になるという経済学での古典的な説明は、言い方を変えると自己組織化であり、そういったバラバラに見えるものがいかに秩序を形作るかということを、経済学の複雑系研究でも行われる。

ではどのような空間経済学・都市経済学の理論があるのか。
フォン・チューネンモデルでは、中心にある街にさまざまな農作物を売る農民のことを考えたとき、街に近ければ輸送費は少ないが土地代が高くなるとする。輸送費と生産高の関係によって、作物ごとに街を中心にして同心円状に農地が広がることになる。これは市場競争による創発と言えるかも知れないが、街の存在をあらかじめ仮定しているので、なぜ都市が形成されるかと言った疑問に答えることができず、都市経済学としては弱点がある。

中心地理論では、均等に散らばった農村に対して、企業が取引をする。企業は規模の経済性が働き集積していくが、そうなると農村への距離から輸送費用がかさむようになる。このような状況では中心地が格子状で均等に分布する。しかしどのような動因でどのようにこのような秩序になるかはこの理論では説明できていないという。しかし本の後半では、これもモデルの内生的な動きによって説明しようとしている。

シェリングの分離モデルは、黒人と白人のような2種類の人々が当初、土地の中を均等でばらばらに混ざり合って住んでいたとして、自分が白人として近隣の中でマイノリティーじゃなければ住居を変える必要はないといった、そこまで積極的な人種差別意識がなかったとしても、結果的には白人と黒人の2つの住居地帯に分離されるというもの。

エッジ・シティーモデルでは、企業同士が求心力と遠心力という正と負の関係を持ち合わせていて、求心力の方が遠心力より近い距離で強く働くとする。これはショッピングモールのようにとても近い場所で店を構えるならお互いの利益になるが、中途半端に離れていたりするとライバル同士になるといった例に見立てることができる。この場合、他の企業がどう立地しているかが、企業の立地の良し悪しとなり、正と負のフィードバックが絡み合う。初期の企業の立地をほぼ均等にしてコンピュータでシミュレーションすると、時間が先に行くほどある2つの山が出来てきて、ついにはただ2つの立地にすべての企業が集積する。なぜある2つの立地になるかは初期のころの企業集積のゆらぎによって決まる。ゆらぎを波の合成のパラメーターとすると、その波の周波数が2なら最終的な立地が2つ、4なら4つとなる。しかし企業の期待形成などの要素をモデルに含んでいないなどの欠点がある。

経験的なデータとして、都市の大きさの順位と都市の人口を対数でグラフにすると、ほぼ綺麗に反比例する。つまり全国で2番目に大きい都市は1番目に大きい都市の半分の人口を持つ。このように順位が下がるごとに人口がどんどん小さくなっていく。これは経済学では珍しいほどきれいな関係で、ジップ法則という。実はこのような関係は、ある大きさ以上の隕石落下確率や地震規模と頻度など他の事例でも見ることができる。これらは規模とは無関係なランダムな成長が起こるものによく見られるという。
経済学では一種の仮説としてサイモンのストーリーがある。ある集団と群があったとき、群は一定の確率で集団に加わるか他の場所で新しい都市を作るとする。さらに集団が大きいほど群が加わる確率が高くなる。群を起業家と見なすことも出来る。このとき、コンピュータのシミュレーションによるとジップ法則に似たグラフが得られるという。

※また、今日見た名古屋大学の記事では、サッカーの試合において、パスをした人とパスの回数の関係がジップ法則と同じベキ則に従っていて、しかもそのパスネットワークの中心となるハブが時間によって変化していくらしいです。ジップ法則はネットワークのハブとも関係するんですね。

2012年1月5日木曜日

モーペルテュイの最小作用教 最小作用の原理と最善世界


数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ数学は最善世界の夢を見るか?――最小作用の原理から最適化理論へ
(2009/12/18)
イーヴァル・エクランド

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『数学は最善世界の夢を見るか』イーヴァル・エクエンド(著)では、モーペルテュイという人物をハイライトにしてニュートン力学から解析力学、カオスや量子力学など近代物理学の歩みを描いていました。
モーペルテュイという名前は初めて見ました。18世紀の有名なライプニッツやヴォルテールと同時代に生きていて、ニュートン力学とデカルト力学の論争(地球が南北に長いのか東西に長いのか)を確かめるために北極まで探検をしたそうです。彼の身分はベルリン科学アカデミーの院長というとても高いものでしたが、性格は謙虚さに欠け、敵も多い人だったようです。

このモーペルテュイですが、光は最小時間でたどり着ける経路を通るというフェルマーの原理に触発されて、最小作用の原理が世界を支配していると考えます。つまり神は世界のあらゆるものの作用を最小にする、言い換えると最善となるように導いているというものです。いわば最小作用教とも言える着想です。この考え方は当時の人からも反発が大きかったようです。特に激しく攻撃したのがヴォルテールで、彼が書いた文書にはあらゆるレトリックを使ってモーペルテュイを皮肉っています。結果モーペルテュイは大言壮語の男として笑いものにされます。

話はこれで終わったかに見えますが、彼の考えた普遍的な法則としての最小作用の原理の考え方は、形を変えながらも後のオイラー、ラグランジュ、ポアンカレ、さらには量子力学のファインマンにまで引き継がれます。もちろん彼の考えた神による最善世界の導きは否定されています。たとえば最小作用が谷だとしたら、光や物体が通る経路は谷だけでなく峠のような中間にある踊り場になることもあります。これを停留点と呼ぶと、結局は最小作用というものは普遍的なものではなく、エネルギー的に留まるところがあればいいわけです。このことによって最小作用=最善というモーペルテュイの考えは大きなダメージを受け捨て去られます。

この議論は、経済学の成長理論に何か似てる気がします。経済が恒常成長する条件として、貯蓄性向sと資本係数vの比がちょうど労働力の成長率nと同じでなければいけない(s/v=n)という条件が導き出されるのですが、これらは相互に連関のないものとして扱われています。この一致は黄金率と言われ、偶然や奇跡以外には実現が不可能に見えます。しかしモデルを組み直して何かの調節メカニズムによって黄金律へ近づくという説明ができれば、この奇跡のような黄金率は奇跡でもなんでもないことが分かります。
いわばモーペルテュイはこういったモデルの再考やモデルの適用範囲の検討をあまりせずに、得られた結果から奇跡の存在を簡単に信じてしまったと言うことができると思います。

とは言え、『数学は最善世界の夢を見るか』では、モーペルテュイという人物の卑小さにスポットを当てながらも、近代科学の原理を着想した人としての評価は保持します。このミスマッチがおもしろかったです。

2011年11月15日火曜日

『品種改良の世界史・作物編』 鵜飼 保雄, 大澤 良 (編) の感想


品種改良の世界史・作物編品種改良の世界史・作物編
(2010/12/16)
鵜飼 保雄

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本の表紙のデザインや装丁が良く、思わず手に取りたくなります。
現在私たちが日常で食べたり使ったりしている作物が、どのような歴史をたどって行ったかをまとめた本です。作物ごとに章が分かれています。主な記述は、栽培植物の野生種の起源地、その伝播の過程、各国の利用と育種の進展などです。
特に良いところは、イネ、小麦、トウモロコシなどメジャーな作物だけでなく、ソルガム、アワ、ソバ、テンサイ、サトウキビのようなマイナーといえる作物についても詳細に記載されているところです。

本書では栽培植物の起源地を探るための方法として、過去の2人の学者の説が頻繁に引用されます。ひとつはフランスのアルフォンス・ド・カンドルが『栽培植物の起源』で著した説で、栽培種と近縁関係にある野生種の地域がその栽培の起源地であるという説です。たとえばイネなどでは、イネと他の雑草を交雑してちゃんと種がつくかどうか、染色体の対合は正確かなどの情報から、近縁関係が調べられています。もうひとつの説は、旧ソ連のニコライ・イワノヴィッチ・ヴァヴィロフのもので、栽培植物の多様性が高い地域を「多様性中心」と呼び、そこが起源地であるとしたものです。

伝播の過程では、旧アメリカ大陸の存在感に驚かされます。コーヒー、ジャガイモ、サツマイモ、トウモロコシ、トウガラシ、トマトなどが、コロンブス以降西洋を通して世界中に知られ、ジャガイモやトマトのように最初は拒絶されながらも、定着していく様子が分かります。

現在日本で定着している多くの作物の利用が、実は1500年代以降であることが意外に多いことにも気づかされます。ソバは日本固有の食べ物のように思っていましたが、実は生産量はロシアが1位で、その利用の歴史も古く、パンケーキのようにして食べられていたようです。ヨーロッパの他の国でも、ソバパスタやソバクレープ、ソーセージの増量剤などにも使われていたらしい。
アメリカの映画ではよくオレンジジュースを飲んでいる場面をよく見ますが、これはスペイン風邪対策にビタミンCが豊富なオレンジジュースが奨励され、さらに第二次世界大戦のレーションにオレンジジュースの粉末が配られたりして、そういった食育の結果だそうです。

育種技術の進歩は、おおざっぱにいって、良い形質の個体を選抜して植え次ぐ選抜育種から始まって、自殖などを通して形質を固定して純系統を作ったり、メンデル以降は交雑の効果を積極的に利用して新しい形質や、雑種強勢株を作り出していった。さらに細胞培養技術を使ったものや、DNAの発見以降は遺伝子組み替えや遺伝子マーカーを使った育種法が開発されていったという。

ただし、この本の良くないところを挙げると、それは分量と記述の煩雑さです。この本は600ページほどの分量があるが、ヴァヴィロフの説や育種法の紹介など、重複した記述が多い。編著で作物ごとの記述をしているのは分かるけど、もっとまとめて書くことはできたかもしれません。

2011年10月17日月曜日

「生物時計はなぜリズムを刻むのか」レオン・クライツマン(著) の感想


生物時計はなぜリズムを刻むのか生物時計はなぜリズムを刻むのか
(2006/01/11)
レオン・クライツマン、本間 徳子 他

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生物時計について、現在考えられているメカニズムやその多様性、さらに医療への応用を概観した本。
特におもしろいのが生物時計の研究史で、実際の実験がどのように進み、生物時計への理解がいかに変わっていったかが図と共に叙述されている。

現在までの研究によると、生物時計はシアノバクテリアから人間まで生物の中でかなり普遍的なものらしい。

たとえばごく下等な生き物であるバクテリアにとって時計はどういう意味があるか。
たとえばバクテリアが窒素固定と炭素固定のような、一方がもう一方を抑制するような反応を行う場合、反応を時間的にずらすために使われているという説や、過去の地球において紫外線から身をまもるために必要だったという説がある。
人間や鳥のような動物では、脳の中のSCN(視交叉上核)が生物時計にとって重要であることが分かった。これを切除すると行動のリズムが取れなくなったりする。さらにSCN単体を移植するとリズムが回復したりもする。

生物時計はリズムを刻むだけでなく、光が当たることで時計を1に戻し、地球の周期に対応している。
光を感じるのは通常目だが、人間では錐体、桿体以外に、生物時計用の光を感じる細胞が目に存在することが分かった。
鳥などでは、脳に光が透けて、脳の一部が直接光を感じたりする。

さらにDNAレベルでも生物時計は確認されている。
たとえば名古屋大学の近藤孝男さんは、シアノバクテリアの3つの時計タンパク質を試験管で再現し、実際に時計として働かせることができたらしい(http://www.brh.co.jp/s_library/j_site/scientistweb/no55/index.html)。

ぼくとしては、生物時計というものの存在意義や、どのような生態の中で進化を遂げたかに興味を持ってこの本を読んだ。

現在までのところ、ほとんどの生物時計は光によってリセットされ、24時間や半年、1年など、太陽の周期というものが主な周期の要因らしい。
それ以外に生態の中で周期的なものはないのか。またそういった周期に合わせる生物時計はないのかが気になる。

たとえば食う食われるの関係の中で、周期的な同期というのはありそうな気がする。
食われる側は、同期からはずれようとし、食う側は逆に同期しようとするように思えるが、生物同士の関係を通した同期というものが、どのようになっているかはこの本では分からなかった。

関連過去ログ:日光の届かない洞窟魚も生物時計を持つらしい。

2011年10月16日日曜日

~現代経済学者の弁明~「ソウルフルな経済学」ダイアン・コイル著


ソウルフルな経済学―格闘する最新経済学が1冊でわかるソウルフルな経済学―格闘する最新経済学が1冊でわかる
(2008/12/05)
ダイアン・コイル

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2007年のサブプライムローン問題からリーマンショックまで、それが起こることをまったく予期していなかった経済学と経済学者には毀誉褒貶が向けられた。

今回の件だけでなく、過去に株の暴落や経済破綻が起きる度に、何度も経済学には疑いの目が向けられた。

また、経済学の教科書を眺めるだけでも多くの疑問が浮かぶ。
すべての情報を知り、自分が何が欲しいかを常に理解し、自己の利益のためにのみ動く主体。
こういっった多くのありそうもない仮定から、本当に経済についての分析を進めることが可能なのか。
また、他にもっといい仮定やモデルはないのか。

経済学に対しては、下手くそな予言者、難解な数式をあやつる人たち、科学になりきれない学問、のような多くの否定的な言葉がある。
しかし、著者はそういった経済学への非難は多くの場合誤解であるという。少なくともこの4半世紀の経済学は、過去の経済学では届かなかったところまで分野を広げ、より厳密に、実証的に経済を分析できるようになったという。

その原動力となったのは、コンピュータの発達と統計的な手法を駆使した計量経済学の発展であった。
言うなれば、昔ながらの合理的な主体や完全競争のモデルは、そういった手法が使えない時代の、妥協の産物であるとみることもできる。
たとえば50年前までは国のGDPを測るための統一的なデータは存在せず、経済成長についてのデータはこの20年にやっと揃いだした。

こうして今や、妥当性が疑わしい仮定ではなく、実際のデータを統計的に分析することで、現実の経済についてよし多くのことを知ることができるようになった。

さらに経済学に社会制度の考察を含めた公共選択論、スティグリッツらによる情報の経済学や、クルーグマンの産業立地に関わる貿易理論、カーネマンらの実験経済学、さらに脳から人の選好などを測ろうとする神経経済学など、すでに多くの分野が広がっている。

この本はそういった最先端の経済学を数式なしに著したものだが、理論の紹介のみならず、その意義や影響、欠点などを含んだ総合的な記述がなされている。
数式が多い本よりもむしろ内容は濃いかもしれない。
だからこそ、一般的な経済学の教科書を読んだ後に、この本を読むのが一番いいかもしれない。

2011年10月7日金曜日

"昆虫未来学―「四億年の知恵」に学ぶ" 藤崎 憲治 (著)  の感想

昆虫は虫であり、虫は害虫といったイメージは未だに強い。
特に僕たちの生活の中で虫というと、家の中でゴキブリが走っていたり、クモが這っているのを見ることが多く、どうしても害虫としての虫のイメージが強くなる。

「昆虫未来学」では、こういった従来の害虫観から脱して、昆虫の利用や保護、さらには昆虫を工学などの視点からリスペクトし、昆虫から学ぼうという現在の潮流を紹介している。

明治以前も虫は恐れられていたらしい。
ただし地震や台風と同じ災厄として、避けられないものだと思われていたらしい。
明治以降、化学的な殺虫剤によって、虫は害虫として排除の対象となった。
虫の専門家でさえも、虫は根絶すべきものだと思っていたようだ。

しかしDDTの環境への影響を示唆する「沈黙の春」以降、殺虫剤の環境への負荷とともに、虫の環境への貢献が認識されてきた。
さらにここ最近では、「バイオミミクリー」といって、材料や工学の分野から見て、昆虫たちの体が持つ特性から学ぼうという動きが出てきている。

たとえばクモの糸の強度は、人間の作るナイロンよりも二倍も強く、これを真似ることで今までよりも便利な繊維を作ることができるかもしれない。

塔のようにせり上がったアリの塚は、室温と風通りなどの良い空調機能を持っている。
これを応用した建物が作られているらしい。

コガネムシのように光沢のある昆虫の中には、蛍光や光の吸収からの色ではなく、光の波長をよい具合に反射する微細な構造によって、反射からの色づけがされているらしい。 これを応用して、色あせしない色素材料を作ることもできる。

全体としてインフォマティブな内容なので、文学的な意味の感想はありませんが、テーマにしたがってよくまとまっていて読みやすく、昆虫について包括的に学べる本だと思いました。