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2011年10月11日火曜日

NASAのヒ素DNAから見た科学の再現性

2010年の12月、NASAが重大な発表があるとして記者会見を開きました。
ついに地球外生物の発見かと期待した人も多かったみたいですが、実際には、リンがヒ素に置き換わっているDNAを持つ細菌を発見したという発表でした。
地球外生物を期待した人は失望したかもしれませんが、この発表がもし本当なら生物学としては重大な発見でしょう。

しかしその後、多くの専門家からNASAの発表への疑いが向けられています。
NASAの行った実験が、DNAにヒ素が取り込まれていることを証明するには不完全だったからです。
例えばDNAに取り込まれたのではなく、細菌の体に取り込まれただけではないか、DNAの検出の際に、ヒ素が混じってしまったのではないかなどと疑われています。

ヒ素を取り込んだDNAは本当にあるのか。論争を終わらせるためには、第三者による再現性の検証が必要です。


しかしNatureニュースによると、この検証実験を行うラボが出てこないということが話題になっています。
その理由として、そもそもヒ素DNA疑わしいと思われているので、検証実験をしてNASAの発見が間違いだと証明しても、ほとんど評価を得られないということが挙げられています。

さらに言うと、再現性の検証にはコストと時間、テクニックが必要なので、そういったものを費やしてまで検証実験をする余裕のあるラボが今のところいないようです。


このニュースから分かることは、再現性の検証という科学にとって基本的なことには制約があるということです。
それは科学の経済的、社会的側面です。
再現性を確かめるためのコスト・時間・技術には限りがあり、検証を行って評価されるインセンティブがないと行われにくくなります。

違う言い方をすると、それらの要素は科学における再現性というものを量的に評価するための指針となるかもしれません。
ですからこれは、科学哲学で一部で使われる「科学度」に含む要素として考えることもできるかもしれません。

参考ウェブサイト:Will you take the 'arsenic-life' test?

2011年10月6日木曜日

科学は捏造を防げるか、再現性の問題。

科学にとって、再現性があるかどうかは重要な問題です。

たとえば超心理学のように学会を持ったり実験をするような組織があったとしても、再現性がないという理由で科学とは見なされません。

再現性がなぜ必要か。
一番大きな理由は、第三者が検証できるようにするためです。

しかし実際の科学では、第三者による再現実験というものはほとんど行われていません。
たとえば科学論文を発表するときには、査読者が論文の中身をチェックしますが、一般的に再現性実験はしないで雑誌に載せられるかどうかを判断します。

ではどういったときに再現性の検証をするかというと、従来考えてきた理論を大きく覆すような結果が発表されたときです。
それ以外の場合だと同じ専門分野の人が同じ実験を行うことで、間接的に再現性のチェックになることもあります。

でも逆に言うと、従来の理論に沿った結果で、同じ専門分野の人が自分と同様の実験をしないならば、データ捏造を行うことができるかもしれません。

たとえばヘンドリック・シェーンという物理学者は、超伝導という物理学の分野でデータ捏造をして、最終的にそれがバレました。

超伝導という現象は、ふつうは温度が極端に低くないと起きないのですが、もっともっと高い温度で超伝導を実現しようという学問的な競争があります。
その競争の中で、いかに高温超伝導を行うかの実験技術が伏せられたり、実験データが出るのは実験者の高度なテクニックのおかげということで、他人は容易に実験を再現できないということが、捏造の隠れ蓑になっていたようです。

さらに言うと、高い温度での超伝導はいずれ誰かが成し遂げるだろうという意味で、従来の理論に沿ったもののようです。

つまり上で書いたような、再現性の検証ができない状況で捏造が行われた可能性があります。

しかし実際には、彼の実験の知識が未熟であったり、またデータ捏造の仕方があまりにもお粗末で、違う実験のはずなのに同じデータが使われたり、データのつぎはぎをしていたので、そういった所から彼の捏造が発覚したようです。

逆に言うと、もし彼がそんなヘマをせずに用意周到に捏造していれば、バレることはなかったのかもしれない。

もしそうなら、再現性というものをいかに確保するか。
もしくは再現性の検証ができない場合に、他の方法でいかに科学の信頼性を保つか、ということが科学にとって重要な問題だと思います。